数学するということとAI そして数覚・言語・創造性

数学するということとAI そして数覚・言語・創造性

タイトル 本5冊

数学と身体は矛盾するか?

『数学する身体』をひろう
『数学する身体』

『数学する身体』(新潮社)表紙

数学と身体は矛盾するか?数学と心を結ぶ「確信」ー『数学する身体』を読む。

いやーっ、ひろい物だった。ジュンク堂大阪本店で、ふだんは歩かないすみっこのコースを散歩していて出会った文庫本、平置きの『数学する身体』(新潮文庫)のことである。新しいわけでもない。数学やサイエンスのコーナーでもない。どうして目に入ったのか?しいていえば、久しぶりに偶然にまかせることを意識していた。大型書店の文庫本の平積みは、かなり混沌としたものである。

数学の歴史と身体性認知科学の2つのアプローチから

この本、数学といえば形式化と記号化の三人称的なもの、身体といえば一人称的なもので、一見、相入れないものであるところを、数学の歴史と身体性認知科学の2つのアプローチから両者を切り結ぶ、数式の出てこない数学にまつわる話なのだ。
なじみのあった認知科学のスター哲学者アンディ・クラークの「認知は身体と世界に漏れ出す」なんてフレーズが、数学の営みを描き出すために引用されたりしていて、すっかり楽しくなってしまった。数学はアタマで記号を操作するだけではない、生きる営みそのものなのだということが、数学素人にもわかるように語られていく。

身体性と数学を体現する数学者2人

数学の歴史の到達点を示す、身体性と数学を体現する数学者として、岡潔と、映画『イミテーション・ゲーム』(ベネディクト・カンバーバッチ主演)で有名な、コンピュータや人工知能の祖であるアラン・チューリングが登場する。

『数学する身体』岡潔の言葉

『数学する身体』の中から

巻末には、森田氏の友人である、スマートニュースの鈴木健さんが解説を書かれていて、この本の魅力を簡潔にまとめられている。
数学にまつわる本ではあるが、人間の認知のはたらきの不思議に興味がある人にアッピールしそうな話である。

「オシャレ数学」にハマる

すっかり、ひきこまれたが、関連の深い岡潔の思想的な著作に進むことよりは、数学そのものに熱をあげた。とはいうものの、大学生時代、実用数学としての学びしかしておらず、数学を考える楽しみにはうとい。というわけで、大学数学への挑戦は、ハードルが高い。高校数学も今では少しキツいかなと、中学数学をのぞいてみることにした。笑わないでほしい。けっこう楽しめたのである。新書で中学数学の証明を読んで楽しみ、つづいて高校数学の証明も楽しんだ。
そして、数学パズル、美の幾何学、マスアート、数学者の書いたサイエンス・ノンフィクションと「オシャレ数学」にハマったのである。「オシャレ数学」とはもちろん、わたしの造語である。そんな楽しみの中からの、いくつかの出会いを、以下、紹介しよう。

AIは人間に匹敵する創造性をもつか?

数学者ソートイによる『レンブラントの身震い』を読む
『レンブラントの身震い』

『レンブラントの身震い』(新潮社)表紙

AIは人間に匹敵する創造性をもつか?芸術・数学するAIを巡る数学者の旅。

一般向けエッセイを巧みに書くことで有名な数学者にオックスフォード大学のマーカス・デュ・ソートイがいる。数学者の書いた本を読んでみたいと探していて見つけた。最も人気の高い著書『素数の音楽』をはじめ、数々の著作の中で、最初に読んでみようと思ったのが、『レンブラントの身震い』(新潮社)である。

マーカス・デュ・ソートイのプロフィール

マーカス・デュ・ソートイのプロフィール

題名に関連した美術よりも数学、音楽、文学について書かれたページが多い!

2020年に出版されており、実は、そのときに書店の新刊コーナーで、レンブラント?おっ、美術本かと、手にとったことがあった。ただ、AIに絵を描かせる話が含まれているなら、おもしろそうかなとも思ったが、美術よりも、数学、音楽、文学について書かれたページが多く、著者が数学者ということもあり、購入するには至らなかった。

その本に再会である。数学者が書いた本!AIは数学者のように創造的なことができるか?「オシャレ数学」を楽しんでいる今なら大歓迎のテーマである。そう、この『レンブラントの身震い』は、タイトルから想像される美術だけではなく、音楽、文学、数学を扱っていて、美術、音楽、文学と同様、数学においても発揮される創造性が、AIに可能かという問いに答えようと試みているのである。

数学者の営みのどんなところが創造的か

数学におけるAIの創造性については、それを考えるための前提として、数学者の営みのどんなところが創造的なのか、人間による、数学という行為の特性についても考えられていて、一般人が誤解して抱きがちな計算をする人ではなく、パターンを追及し美しい証明を創造する喜びの中にいる人であることを、まず教えてくれる。

数学者はお払い箱か?

果たして、AIが数学をして、数学者はお払い箱になるのか?ソートイなりに到達する答えに大注目である。人間が生きることの意味はどこにあるのか。

美術にも音楽にも文学にも明るいソートイとともに

数学者だが、ソートイは、美術にも音楽にも文学にも明るく、それぞれにおけるAIの創造性についても、魅力的な事例を多数紹介しながら、考えさせてくれる。

美術に関心のある方は、美術のところだけ、音楽に関心のある方は、音楽のところだけひろい読みされてもおもしろいと思う。過去の歴史的な事例についても紹介した上で、この本が書かれた時点までの、「AI、そこまでやる⁉︎」が綴られており、驚きの連続だ。

トップダウン型AIかボトムアップ型AIか

トップダウン型のAIから、ボトムアップ型のAIになったことが、驚きのAI実現の土台になっていることを、どの領域についても、ちゃんと説明してくれていて、AIのしくみについて知る超入門にもいいかもしれない。

『レンブラントの身震い』裏表紙

『レンブラントの身震い』裏表紙

生成AIブームの中で

Chat GPTなどの生成AIブームでAIと生活のかかわりは、ますます強まっており、関係する一般向け書物は増えるばかりだが、AIにはなく、人間だけのものと考えたくなる創造性に的を絞ったエッセイ『レンブラントの身震い』はAIについて楽しく知り、考えさせてくれる、きわめて魅力的な1冊になっている。

『レンブラントの身震い』

『レンブラントの身震い』

数学の頂点は誰の手に?ChatGPTと人間、その数学能力の真剣勝負

日経サイエンス「特集 数学する脳とAI」の記事を読む
日経サイエンス2023年8月号「特集 数学する脳とAI」

日経サイエンス2023年8月号「特集 数学する脳とAI」

ChatGPTはマーチン・ガードナーの数学パズルを解けるか?日経サイエンスの8月号のキャッチーな記事である。「オシャレ数学」にはまって、日経サイエンス連載だったマーチン・ガードナーの数学ゲームをまとめた全集の第1冊目に挑戦したりもして楽しかったので、これは!と、日経サイエンスのこの号「特集 数学する脳とAI」を手に入れてみた。

日経サイエンス「数学する脳とAI」内容紹介ページ

日経サイエンス「数学する脳とAI」内容紹介ページ

「ChatGPTにはこんな数学パズルで勝てる」

正確にいうと、記事のタイトルは「ChatGPTにはこんな数学パズルで勝てる」。ChatGPTの苦戦の様子が描かれ、その間違え方が分析されている。流暢に言葉を並べるChatGPTではあるけれど、かたなしである。

AIによる数学と人間による数学

目当ては、この記事だったのだが、実は、思いがけず特集の他の2つの記事が格別だった。ChatGPTが意外に数学の問題を間違えることが多いことから、AIの数学の解き方とわたしたちの解き方は一体何が違うのかと考えている記事である。

人間と数学の関係は「数覚」から始まって変化していく

人間は数字を知らないときから働く「数覚」とよばれることのある原始的な数量の感覚をもってると考えられていること、幼児期には数字と数量が結びついているが、計算を学ぶと数字と数量の関係が離れてくことが脳活動で示されていること、計算に関しては、視覚・聴覚・言語とは別物で特別という見方が主流だったが、視覚・聴覚・言語と同じ仕組みで処理されているのを示唆する研究があることが紹介されている。高度な数学はともかくとしても、現在のAIが言語の処理と同様の仕組みで、ある程度計算ができることに対応する研究結果があるわけだ。

そして、人間の場合には原初的な感覚である「数覚」から始まって、複雑で高度な数学を行えるようにと変化していくのが特徴的と考えられているという。

「数覚」は生まれつき?それとも経験によるもの?

さて、「数覚」はいいとして、では、この数の感覚は生まれつきのものなのか経験によるものなのか。論争があるわけだが、実験的証拠にもとづいて、特集の次の記事では、生まれつきだということが示されている。乳児や幼児で行った実験、そして視覚実験、おもしろい!

ということで、「数覚」に興味深々となって、「数覚」の語を一般に広める発端となった、フランスの認知神経科学者による『数覚とは何か?』を品切れで倍の価格になっていたが手に入れることにした。

ChatGPTが考えてくれたタイトルに思いを馳せて

イントロ文「数学の頂点は誰の手に?ChatGPTと人間、その数学能力の真剣勝負!」はChatGPTさんに考えてもらったものだ。さて、「数覚」の前に大規模言語モデルであるChatGPTについてもう少し知りたくなった。

ChatGPT 大規模言語モデルのしくみをこんな本でチラ見してみた!

ChatGPT本の山の中から

ChatGPT、ハウツー本や雑誌の特集が山ほどあるが、新刊に、数式処理システムのマセマティカ(Mathematica)や質問応答システムのウルフラム|アルファ(Wolfram|Alpha)で有名な、スティーブン・ウルフラムによるハヤカワ新書の『ChatGPTの頭の中』(早川書店)があって、読んでみた。

2部に分かれているうちの1部で仕組みについてステップバイステップで図示して丁寧に解説してくれている。途中、一般人には難しく感じられるところもあるが、最終2節「意味文法と計算言語の力」「ということで、ChatGPTは何をしているのか、なぜ機能するのか」で、誰にでもわかりやすいことばによるまとめが示されている。

2部では、Wolfram|Alphaで実現されているような数式処理や各種計算などに関する現実を反映した応答がChatGPTにはできないことが丁寧に示されている。(ウルフラムのプラグインを使うと応答が正確になるのだが、プラグインを使うには有料のChatGPT plusにする必要がある。)

ChatGPTのしくみについては岩波科学ライブラリーの『大規模言語モデルは新たな知能か』(岩波書店)もまとまっており、こちらを好む方もあるかもしれない。

人間による言語について考えたくなって、ツンドクだったベストセラーを手にとる

それにしても、大規模言語モデルのChatGPT談義に接していると、人間による言語について考えたくなる。そこで5月に刊行されてすぐ手に入れたがツンドクだった、あるベストセラーを次に読んでみたところ、ChatGPTに興味がある方にも超オススメということがわかった。

計算機は意味をわかって言語を使っているわけじゃない!人は?

「記号接地問題」
『言語の本質』

『言語の本質』(中央公論社)表紙

巧みにことばを紡ぐChatGPTを知り、考えるために役立つ本や記事についてふれた。大事なことは、計算機は流暢にことばを発するが、意味がわかっているわけではない、ということだ。
人はりんごということばを、ずっしりとした重みや香りがある生の実際のりんごの感じと、体験を通して結びつけているが、計算機にはことばしかない。「記号接地問題」と人工知能研究で言われていることである。では、人が「記号接地問題」に陥らずことばを獲得していけるのはどうしてか。

人間特有の学びのキー「オノマトペ」と「アブダクション推論」

中公新書の『言語の本質』(中央公論社)は、それを、「オノマトペ」と「アブダクション推論」という人間特有の学びのあり方をキーとして、豊富な実験結果や、幼児のことばのいいまちがいの現象を紹介しながら解き明かしてくれるエキサイティングな1冊だ。その壮大な物語は、なぜヒトだけが言語を持つのか、ことばの進化にまで及ぶ。

『言語の本質』裏表紙

『言語の本質』裏表紙

推理小説を読むような展開でベストセラーなのもうなずける

前提として読者に理解しておいてほしいことからまず説明が始まるため、読み始めて最初の3章は、なかなか入り込めないかもしれない。しかし、そこを少しがんばってクリアすると、4章からグイグイ引き込まれることになるだろう。推理小説を読むような展開で抜群だ。2023年5月に出版と新しく、ちゃんとChatGPTについてもさらりとふれてくれている。ベストセラーなのもうなずける。
ChatGPTの本で見た言語に関する楽観的な展望の物足りなさに対して、まさに豊かな「言語の本質」に迫った痛快な1冊である。
*朝日デジタルを購読されている方は、朝日デジタル7/23の記事で著者の今井むつみ氏のインタビューを読むことができる。

色覚みたいに「数覚」だってある!動物・赤ちゃんももってるんだって!

『数覚とは何か?』にとびついて
『数覚とは何か?』表紙

『数覚とは何か?』(早川書房)表紙

数に関する直感は、私たちの脳の深くに根を下ろしている。それを「数覚」とよんで、その存在を、赤ちゃんや動物、脳での実験結果を通して明らかにしてくれるエキサイティングな一冊が『数覚とは何か?』(早川書房)である。著者はフランスの実験認知心理学者ドゥアンヌ、原著は1997年刊で、日本語訳は2010年刊。やや古い本だが名著で、すでに紹介した日経サイエンス「特集 数学する脳とAI」で知って、とびついた。

『数覚とは何か?』内容紹介

『数覚とは何か?』内容紹介

数学の対象の性質をどう捉えるか 3つの立場について まずは 「プラトン主義者」

数学の対象の性質をどう捉えるか、というときに3つの立場に人は分かれる。一つは、いわゆる「プラトン主義者」で、数学的現実は抽象的な空間の中に、日常生活の対象と同様、実在すると考える。数学者は、物理学者や化学者同様、その実在を発見するのだ、と言われたりする。しかし、生身のからだを持つ数学者が、どうやって数学的対象という抽象的な世界を探索できるのかと考え始めると、非物質的な精神がどうやって物質のからだと交渉するのかということを考えるのと同様の難題をもたらすことになってしまう。

二つ目は「形式主義者」

二つ目は、「形式主義者」で、数学は単に、厳密な論理的規則にしたがって記号を操作する論理のゲームであると考える。しかし、物理的世界のモデル化に数学がとてもよく適用できるのはなぜだろうか?ほとんどの数学者は、純粋に任意な規則に従って記号操作をしているのではないのではないか、むしろ、ある種の物理的、数的、幾何学的、論理的直感を、定理の中にとらえこもうとしているといえるのではないか。

三つ目は「直観主義者」

そこで、三つ目の「直観主義者」がおり、彼らは、数学的対象は人間の心が生み出すものにほかならないと考える。数学的対象は、初めから人間の思考のカテゴリーであり、数学はそれを洗練させ、形式論理化したものである。とくに、私たちの心の構造が、世界を不連続な物に切り分けるのであり、これこそが、私たちの数や集合という直感的概念なのである。そして、数学の性質に関するこれまでの理論の中で、直観主義が、算術と人間の脳の関係について、もっとも良い説明を与えるように思うとドゥアンヌはいう。

『数覚とは何か?』

『数覚とは何か?』

算数教育の展開への示唆

ドゥアンヌは、幼い子どもももっている数に関する直感「数覚」の性質をベースに子どもの算数教育は展開されるべきではと言及していて説得力がある。ただし、もちろん、日経サイエンス「特集 数学する脳とAi」の記事にもあるように、幼い子どもの数との接し方から始まり、人間は学びにしたがって、少しずつ数とのつき合い方を変えていく。

「わかる」ことより「繰る」ことが先立つ場合も

『数学する身体』の森田真生氏の続く著書『計算する生命』では、「わかる」ことと「繰る」ことという話が出てくる。「わかる」よりも「繰る」への成功が先立つこともある。数学史上、「繰る」のがうまくいってから「わかる」がついてきた事例が多々あるという。個人の数学理解でも、わからないわからないと立ち止まってしまうことなく、身体をとおして「繰る」こと、そうして、なにかうまくいく感じをつかんでいくところから入って、あとからわかってくるというのがあってもいいのだろう。

数学は、19世紀に、厳格な論理的この上ない「直観に訴えかけない定義」が発生し、概念と論証が前面に出てきて、与えられた概念から推論を重ねていくだけでなく、既知の概念に潜む仮説性を暴き、そこから新たな概念を形成できる創造的な活動となったという。われわれが高校数学までに習うのは18世紀以前の直観に訴える数学なのだそうだ。高度な数学の営みに関しては、ドゥアンヌが強調する「直観主義」だけでは、理解しようとすることは難しいのかもしれない。

図書館でお手にとってみて!

よく見たら、「オシャレ数学」に夢中になるきっかけとなった『数学する身体』のうしろの参考文献のリストの中にも『数覚とは何か?』があった。品切れ本なのでオススメしにくいが、図書館でお手にとってみてほしい。あー、おもしろかった!

拙い趣味の数学から始まった、とりとめない散歩のほんの道すがらにおつきあいいただいた。散歩は続いている。

(おまけ)日経サイエンス2023年8月号「特集 数学する脳とAI」の巻末の書評にある『眠りつづける少女たち』(紀伊國屋書店)が、この記事の内容と直接関連しないけれど、とてもおもしろかった。脳と身体だけじゃなく心のサイエンスで解き明かされる謎の病、読み応えある良質のメディカル・ノンフィクションである。お医者さんの卵を教えてる医師の方にもオススメした。

数学することとAI 本5冊

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